そもそものスタートは、北沢タウンホールの周知と普段聞けない国際的な音楽を地域の方に聞いていただく機会を、行政と地区住民でもうけようというものでした。しかし近年では、タウンホールの活用状況が好調なことと、財政状況・商業的な不景気が深刻的なことによる予算的、人的な活力の減少などにより新たな音楽祭の方向性を模索しながらの開催となりました。その中で過去8回9回の音楽祭実行委員会では下北沢で音楽祭を開いているにもかかわらず地元の認知度が非常に低く、「多くの有名ミュージシャンを輩出したライブハウスの存在を無視した音楽祭は発展の要素がないのではないか」との意見が出されました。
一方でライブハウスと周辺住民によるトラブル、夜中に路上ライブを行う若者と周辺住民とのトラブル、公共の道路使用を許可していただく警察への道路使用許可の存在の重要性への認知不足、若者の住みたい街にもかかわらず住民・乗降客数の減少などの問題が現実としてあり、実行委員である行政、住民、商業者の代表で激しい議論が行われました。
結果、閉店後に周辺を広く掃除しているライブハウスの存在などが取り上げられ、お互いが話し合えるきっかけになればという結論に至り、「共存響声」をテーマに節目である第10回の音楽祭に向け、ライブハウスに協力をいただいての開催となりました。
実行委員の音楽祭をきっかけに地域の問題解決につなげたいという意欲は衰えず、若手商業者(住人も兼ねている)と区支所地域振興課とで準備委員会の準備をしていく中で、
《どんな世代の方が訪れても、おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャして楽しい街、お互いが理解し合い支えあって共存共生がはかられているやさしい街「しもきた」を目指し、そのひとつのきっかけに音楽祭を位置付け、音楽を外(ストリート・商店内)にも持って行き、、迷路性という街の特性を生かして、一歩角を曲がるとまったく違うジャンルのステキな歌声、演奏が響いている空間を街全体を使って演出し、普段聞くことのないジャンルのナマの音楽を衝突しがちな異世代老若男女がいっしょになって演奏者を取り囲むことでお互いを理解し会うきっかけになるはずである》
との方向性を見出しました。